賢者の贈り物

 

サンタクロースをいつまで信じていたかという質問は、日本人の当たり障りのない話題第2位にランクインすると思う。ちなみに栄えある第1位は宝くじが当たったら何に使うか、である。

 

 

さて皆様はサンタクロースをいつまで信じていただろうか?

 

親からカミングアウトされるまで信じていたという人やそもそもサンタシステムが無かったという人まで様々だろう。

 

私はというと、物心ついた時には既にサンタクロースが存在しないということに薄々気づいていた。

夜施錠された家にどうやって侵入するのか疑問だったし、たったひとりで一晩の間に世界中の子どもたちにプレゼントを配ることは時間的に難しそうだし、トナカイは空を飛べない。

 

少なくとも毎年我が家のクリスマスツリーの下にプレゼントを置いていく人が本物のサンタクロースではないということは知っていた。

 

それでも"無邪気にサンタクロースを信じている子ども"であることが周囲の大人から望まれていることに気づいていたうえ、下手に親に疑問をぶつけてサンタシステムが打ち切られてしまっても困るので、口に出してサンタの正体を否定したことはなかった。我ながら嫌なガキである。

また、クリスマス自体に懐疑的だったわけではなく、12月になれば母親と一緒にツリーの飾り付けを楽しみ、兄と共にケーキの種類を吟味し、イブの夜はご馳走と子ども用シャンパンで家族と乾杯して、ささやかなクリスマスパーティを楽しんでいた。

 

しかし、とっくに成人した今になっても両親に対してサンタクロースの正体についての話を振ったことはない。

 

これは今更話すようなことではないということと、私の中になんとなくサンタクロースを信じたい気持ちがあるからだと思う。 

もちろん、赤と白の服を着たヒゲのおじさんとソリをひいて空を飛ぶトナカイがいて欲しいというわけではなくて、小さな子どもだった私の元に"サンタクロースとして現れたもの"の存在を信じたいのだ。

 

 

サンタクロースというと、切っても切り離せないのはプレゼントだろう

 

ポケモンのルビーサファイアが発売された年は兄とどっちのバージョンを貰うかで揉めたものである。

今でこそ好きなポケモンTOP3に入るほど大好きなカイオーガであるが、当時の私には変な魚としか認識できず、同じく恐竜かドラゴンかといった雰囲気であるグラードンを好んだ兄と熾烈な争いが繰り広げられた。

ちなみに兄妹ともに昔から変にオタク気質なためコンプ欲があり、両方ルビーという選択肢は無かった。

結果として妹という立場を活かし全力で駄々をこねた私がサンタクロースにルビーをお願いする権利を得た。クリスマスの朝は早起きした兄と共にクリスマスツリーの下に置いてあったソフトを狂喜乱舞しながら開封したことを覚えている。

ストーリークリア後、兄と対戦したらカイオーガがありえん強くてカイオーガ派になったことも覚えている。冷静に考えて水と地面っていう組み合わせはどうなんだ。

 

ダイヤモンドパールが発売された年はそもそもニンテンドーDSを持っていなかったため、クリスマスにDSをお願いして、お年玉でパールを買った。

クリスマスからお正月まで1週間ほどしか空いていないはずなのに、お正月を待ちながらDSでGBAのソフトを遊んでいる時間は永遠にも感じられた。 

 

また、お茶犬というキャラクターのミニチュアセットを貰ったこともある。折りたたまれた状態ではポッドのような形で、開くと二階建てのお茶犬たちの店か家か、そのような部屋が現れる、大変かわいらしいおもちゃであった。今の今までお茶犬という存在すら忘れていた。

 

もはやクリスマスとは関係ないが、お正月にお年玉で「Let`s me2」というハムスターが飼えるジュニアPC(何言ってるか分からないと思うが本当にこういうおもちゃなのだ)を購入したことも、ふと頭に思い浮かんだ。そのPCで飼っていたハムスターがいくら世話しても無限に懐かなくて、触れ合おうとするたびに手の形をしたポインタが噛まれていたことまでも。

 

 

閑話休題

 

 

このように記憶というものはひとつ思い出すと芋づる式にどんどん溢れてくる。それはもちろんよい思い出ばかりではない。

 

クリスマスのパーティにいつからか父親は参加しなくなっていたし、それを当然のこととして受け入れ、触れない兄妹がいた。

 

あれだけ楽しみだったお正月も両親が揃って家にいるタイミングが増えるため、居心地の悪い気持ちでいることが増えた。

 

 楽しい思い出は嫌な思い出に塗りつぶされ、もう二度と取り戻せない幸せな幼少期を憧憬するのだ。

 

私が小さい頃、あるいはもっと前から私の家族は問題を抱えていた。その影響を大いに受けた私は、やはり問題を抱える人間になったし、そのような家庭環境だったことについて両親を恨むことが無いとは言えない。

 

しかし、クリスマスツリーの飾り付け、一緒に選んだケーキ、私たちが寝ている間に届けられたプレゼント。

 

そこには確かに"何か"があった。

"何か"の正体はサンタクロースと同じで、口にしようとすると熱で溶けて消えてしまう雪のようなものだ。

 

それは、両親は賢者ではなかったものの、ワクワクしながら開封したプレゼントたちは、間違いなく賢者からの贈り物であったのだと確信させてくれる。

 

そんなちょっぴりセンチな気分になりながら、今日もイルミネーションで輝く街を通り抜ける。

25日になればすっかり正月気分に変わってしまうこの街で、私は遥か昔にサンタクロースから受け取ったプレゼントを、今もまだ持ち続けているのだ。

 

 

 

 

とかなんとか書いてたらApple pencil無くしました。サンタさん、新しいのください。